熊野速玉大社

(和歌山県新宮市)

”紀伊山地の霊場と参詣道”として2004年に世界遺産(文化遺産)として登録されました。

めはり寿司の紹介は、このページの下方にあります

熊野三山(本宮大社・熊野速玉神社・那智大社)のひとつとして
全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です
拝殿とその右手にある鈴門(れいもん)


←参道入り口の鳥居

鮮やかな朱色でした
神門

今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、
熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から
現在の鎮座地にお遷りになり、
これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと
古書に記載されているそうで
す。

中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から
庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、
来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、
蟻の熊野詣」の諺のごとく
熊野街道は賑わったそうです。
 
なんと、後白河上皇(平家物語で有名)は、33回もきているそうですよ。

江戸時代、熊野三山は紀州藩の宗教政策のもと、神道化。
熊野山伏や念仏聖、熊野比丘尼たちの活動を抑圧しました。
その結果、熊野信仰は衰微していきます。
さらに、明治元年(1868年 )の神仏分離令の本地垂迹思想により
仏教と渾然一体となっていた熊野信仰にとって、

国家の神道国教化政策は大きなダメージとなったようです
御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・
熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、
十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から
崇敬を集めています。
天然記念物に指定されている速玉大社の梛(なぎ)の木
平重盛(清盛の嫡男)お手植えのご神木だそうです。



ナギは熊野権現の御神木で、その葉は、
笠などにかざすことで魔除けとなり、
帰りの道中を守護してくれるものと信じられていました。

←八咫鳥神社

神武天皇(磐余彦命)が、熊野から大和国へ侵攻するとき、
深く険しい山越えを天照大神が遣わした3本足の
八咫鳥の案内で、無事大和にはいることができたという。
三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)を表すとも云われ、
智・仁・勇、また、天・地・人の意を表すとも云う


こんな旗も・・・日本サッカー協会のシンボルマークになっています。→
和歌山県新宮市新宮一番地
JR新宮駅から徒歩15分
←神倉神社(旧宮)
新宮市の西端に聳えたつ権現山の南東端 熊野速玉大社の
飛び地境内となっている神倉山に鎮座。

走っている車の中からの撮影なので、
ちょっと不鮮明で見難いかと思いますが、、
巨岩ゴトビキ岩がご神体となっています
。。
←駐車場横には、新宮出身の作家・佐藤春夫の記念館があります。
1927年築の東京都文京区関口町にあった瀟洒な
旧宅全体を忠実に
復元しているそうです。

佐藤春夫は、友人の小説家谷崎潤一郎の妻・千代に恋慕し、
のちに譲りうけたそうです。
その経緯は谷崎の中期の小説『蓼食ふ虫』に書かれているようです。


代表作は「秋刀魚の歌」(詩集『我が一九二二年』所収)
(千代への思慕が背景にある詩だそうですよ)
めはり寿司
     
総本家めはりや
新宮市緑ヶ丘1-1-39

4個480円
もともと山仕事の弁当として作られていた郷土食で、
高菜(たかな)の漬物で御飯をくるんだものです。
従来はソフトボール程の大きさだったので、食べる時、
目を大きく見張る事からこの名が付いたとか。
高菜の漬物の味がご飯にマッチして、素朴だけど食欲をそそります。
新宮出身の文豪佐藤春夫も常々「故郷でおいしいものは一にめはり
ニにさんま」と話していたそうです。
今回の旅は、そもそも、この”めはり寿司”が食べたくて、出かけることになったのですよ。
炊き立て、ホッカホカのご飯を、慣れた手つきで、菜っ葉で包んでいきます。
そのてさばきは、見事でした。
ご飯に染み込むその醤油加減が絶妙で、素朴さが、またよかったです。
でも、ここの”めはり寿司”は、目を張るほど大きくはなく、食べやすい大きさでしたよ。

  小さな旅

2006.9.11