| 曹洞宗 野崎観音 福聚山慈眼寺 (大阪府大東市) |
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| 1300年ほど前、インド僧が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた ハラナに良く似ている」と行基菩薩に申されたので、 観音様のお姿を彫り、この地に安置されたのが、始まりだそうです。。 |
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野崎観音は、お染久松を主題にした近松半二の 「新版歌祭文」をはじめ、 近松門左衛門の 「女殺油地獄」、 落語の「のざきまいり」 (船に乗ってる人と土手を歩いてお参りする人との、 やいのやいのの悪口のかけ合いがおもしろい)、 東海林太郎の「野崎小唄」などで良く 知られています。 のざきまいり・・5月1日〜10日 元禄時代から伝わる祭り。 人が生きていく上で、知らず知らずにお世話になった有縁、 無縁のすべてのものに感謝のお経をささげる行事。 期間中、境内の舞台では、大道芸・歌舞伎・津軽三味線などが奉納されます。 また、駅からの参道には300軒あまりの露店が並び、 参拝者で賑わいます。 おお、すごい階段!! でも、新緑がきれいで、風がさわやかだったです。 |
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鐘楼 「野崎の鐘のつきっ放し」といわれ、いつでもついて構わないのですが、 連打は厳禁。 「ゴーン」〜〜いい音でした。 |
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薬師堂 薬師如来は、化身の病気を治してくださる仏様で、 お乳のでないお母さんがお参りになりますと、 良いお乳が出るようになると伝えられています。 |
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お染久松の塚 ”近松半二作「新版歌祭文」〜野崎村の段〜より” 野崎村の久作には、養子の久松(ひさまつ)と、 女房の連れ子のお光(おみつ)がいた。 久作は気立ての優しいお光を、久松の嫁にしようとしていた。 一方、久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘、お染(おそめ)と知り合い、 恋に落ちる。 久松のことを以前から慕っていたお光が婚礼の支度をしている所へ、 大阪からお染が「野崎まいり」にかこつけて久松に会いに来た。 久松との関係に気付いたお光は、お染を追い返そうとし、 久松と言い争いになる…。 養父への義理から別れ話を持ち出す久松と二人きりになったお染は、 自害しようとする。それを見て、 久松は二人で死ぬことを約束する。 そこへ、事の成り行きをみていた久作に人の道に反していると諭され、 二人は別れを誓うが、お互い心中の覚悟を決めていた。 祝言の席でお光が綿帽子を取ると、髪を切り尼の姿になっていた。 お光は二人の心を察し、自分が身を引けば、 二人が幸せになれると考えたのだった。 それを見ていた、お染の母親お勝(おかつ)はお光に礼を述べ、 二人の仲を認め、二人は油屋へ帰っていく。 二人の無事を祈り、その姿を見送りつつ、お光は泣き崩れるのであった。 |
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楼門(南門) |
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奉納ライブ ♪野崎小唄♪(戦前、東海林太郎の歌で大ヒットしました) 野崎参りは 屋形舟でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり 粋な日がさにゃ 蝶々もとまる 呼んで見ようか 土手の人 野崎参りは 屋形舟でまいろ お染久松 せつない恋に 残る紅梅 久作屋敷 今もふらすか 春の雨 この唄を聞いたことがある人の年齢は、何歳以上? |
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石造九重層塔 当石塔は昭和初期まで九層であったが、 現在は最上層と相輪を失って、高さ280センチの八重層塔となっている。 造立銘は永仁2年(1294年)とあり、74字の金石文を礎石に刻する 北河内最古の層塔である。 大東市指定文化財 |
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つり橋もありました。 このあたりは、とても景色がいいですよ。 |
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遠方は、京橋あたりかな? 右の方には、なみはやドームが見えました。 |
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JR野崎駅方向から、野崎観音を望む。 道路の両サイドには、昔なつかしい露天が 所狭しと立ち並んでいました。 |
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JR野崎駅近くの谷田川 その昔、野崎参りをするため、 この川を屋形船できたんでしょうかねえ? その面影は、今は、なく・・・ |
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| 大阪府大東市野崎2-7-1 |
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2006.5.1